新しい女からモダンガールへ
―逸脱の系譜―

牟田和惠(大阪大学)

 日本において「モダンガール」「モガ」の語が登場し、マスメディアでの議論の俎上にのぼったのは1920年代の後半であるが、日本のモガには、先達がいた。すなわち、1910年代のはじめに登場した「新しい女」である。

 欧米のコンテクストでは、新しい女とモダンガールとを厳密に時代区分して見ることは意味がないだろう。しかし日本においては、少なくとも流行語としてメディアで流通した現象のみを捉えると、両者には、十年以上を隔てた断絶があった。日本の新しい女たちは、その主張のラディカルさや彼女たちの見せた自我の覚醒にもかかわらず、モダンガールを特徴づける、消費文化を享受するには至っていなかった。新しい女は、日本においては、いわば、早すぎたモダンガールであったのだ。

 つまり新しい女たちは、モダンガールの隠れた姉であるわけだが、しかし新しい女たちは、妹であるモダンガールに、厳しい眼を向けた。新しい女たち自身、その登場時には、厳しい社会的批判と揶揄とにさらされていたが、モダンガールの時代には、女性知識人として論壇や社会活動の場で活躍していた。彼女たちは、モダンガールと呼ばれる女性たち、風潮を、むしろ批判する側にまわった。

 本報告では、新しい女とモダンガールという、同じく逸脱者として登場した二つの現象を見ることによって、20世紀の前半の国際的文脈の中で大きく変動する社会において、「女」の位置づけをめぐって働いた力学を検証する。