植民地朝鮮の新女性にとっての近代の不可能性
―自由と芸術活動についての羅蕙錫の思想―

キム・ウンシル(梨花女子大学)

 本報告では、朝鮮初の女性西洋画家であった羅蕙錫による自由に関する議論を通じて、朝鮮の新女性にとっての自由の意味を探る。羅蕙錫は、美術学校の教育を受けて画家となり、朝鮮社会に「芸術」という言葉をはじめて紹介した女性であり、女性であることは自分が人間として存在することに困難を生じると主張して、女性としての自らの状況に疑問をなげかけつづけた。韓国社会では、羅は植民地時代のリベラルなブルジョワ女性としての限界を克服することができなかったとされ、羅の試みは失敗したとみなされてきた。羅にとって自由とは、「女性も人間である」という信念に基づくものであり、人格の行使、すなわち芸術活動を意味していた。しかし、彼女が一人の個人であろうとすればするほど、父親、兄、夫から離れていくことになり、もはや芸術活動を行えない社会状況にまで陥ってしまう。羅の人生は、路上で人に知られることなく幕を閉じた、歴史には包摂されない個人的な逸脱の出来事として、もしくは悲劇的な死に終わる放縦な人生の典型的な例として、歴史化され語られてきた。

 本報告は、植民地朝鮮の新女性だった羅蕙錫にとっての「近代」――もしくは自由それ自体――の不可能性について考察し、新女性における「新」とは何を意味していたかを理解することを試みる。