1920~30年代上海のモダンガールと近代男性

董玥(マドレーヌ・ユェ・ドン)(ワシントン大学)

 中国におけるモダンガールは、挑戦的な新しい女のイメージを提示する存在であった。モダンガールは、性的魅力をふりまき、既存の家族や社会の秩序を脅かし、近代的で、コスモポリタンな都市生活のシンボルであると同時に、中国のナショナル・アイデンティティー形成を揺るがす女性とみなされた。本報告は、20世紀初頭、モダンガール・イメージの構築や解釈に多大な影響を及ぼした3つの芸術家・知識人グループを取り上げ、それぞれのモダンガールに対する視点の差異を明らかにする。まず上海に基盤を置いた風刺画家のグループは、モダンガールに対して両義的な態度を示した。彼らの作品に描かれたモダンガールは、都会の男性たちを惹きつけ、欲望をかきたてる一方、不安を与え、脅かす存在である。こうした芸術家の多くは二重の役割を果たした。タバコや化粧品広告、ファッション画においては、モダンガールの消費嗜好イメージを創り出す一方、風刺画では、モダンガールに対して批判的な視線を向けたのである。また、こうした風刺画家とはべつに、郭建英(Guo Jianying) や劉吶鴎(Liu Na'ou)などの多くの近代主義的な作家や芸術家は、モダンガールに好意的な態度を示し、モダンガール・イメージとの共生的関係をさえ提案した。モダンガールは作品の中心的な素材であり、創作意欲を刺激した。が、対照的に、左翼的知識人は、モダンガールにも上記の2つの男性グループにも、きわめて批判的であった。魯迅(Lu Xun)のような左翼的知識人は、モダンガールが消費する西洋の商品や西洋文化が近代を表すとはみなさず、モダンガールやモダンボーイのイメージを通してつくられるコロニアルな文化と消費主義を批判した。左翼的知識人にとって重要な問題点は、こうした男性と女性のナショナル・アイデンティティーが両義的であったことである。3つのグループの意見対立から示唆されるのは、中国のモダンガールが、近代の女らしさと男らしさの構築にいかに中心的な役割を果たしたか、またモダンガール・イメージの構築や解釈が、いかに植民地権力とナショナルな権力が互いにせめぎ合う重要な争点であったか、ということである。