蕩尽するナショナリズム?
―1920年代から30年代におけるインドのモダンガール―

プリティ・ラママーシー(ワシントン大学)

 私の知る限り、インドにはモダンガールに関する研究はない。これは、インドにはモダンガールがいなかったということを示唆しているのだろうか。いや、そうではない。むしろ逆に、視覚的な表象、消費文化、インドの近代をめぐる政治的論争を参照すれば、そこにはモダンガールの形象が広く普及していたのであり、本報告の主眼はこの点を論証することにある。他の地域でそうであったように、インドのモダンガールもまた国際的な現象であり、女たちが想像力豊かに、何者かに成り代わったかのようにして、あるいは時には現実のこととして生きた、異種混淆的でジェンダー化されたアイデンティティである。なかでももっとも「俗っぽくて邪悪な」モダンガールを体現したのは、インド無声映画のスター女優たちだった。彼女たちは圧倒的な人気を博し、商業的成功を収め、見るからにコスモポリタンで、性的魅力に富み、時に男性化された一面も見せた。

 本報告では、まず初めに、インド映画に登場するモダンガールがいかなる意味で帝国からネーションへの過渡のアイデンティティを体現したのか、そして、なぜモダンガールがナショナルで近代的なジェンダー主体として認識されることがなかったのかを論じていく。だが、にもかかわらず、モダンガールは1920〜30年代の新聞や雑誌広告におけるアイコンとして登場した。

 報告の第二の論点は、いかに消費がインド中産階級の女性が政治的主体となる最初の足がかりとなったかを検証することにある。これら中産階級女性は、1905〜08年のスワデーシ運動(国産品愛用運動)において外国製品のボイコットに参加することで、初めて政治的主体として立ち現れた。女性はまた、「国産」で近代的な商品のための市場の創出により、また消費が国際化され、インド化されることを通じて、経済的主体としても初めて出現するのである。

 しかし、私がここで言いたいのは、単に、一部のナショナリスト知識人男女が、消費文化を通じてインドの象徴的かつジェンダー化された秩序を創出したということではなく、むしろ市場・税収をめぐる国際資本、ローカルな資本、そして植民地国家の三つどもえの、もつれた利害闘争によって、ナショナリズムが物質的に形を得るようになったという点である。そして最後に、モダンガール研究がなぜインドのフェミニスト歴史学にとって重要であるのか、またなぜ近代のナショナリズムと資本主義にとってジェンダー化された消費を考察することが重要であるのか、といった点についても述べてみたい。