1930年代南アのモダンガール、化粧品、人種的リスペクタビリティ

リン・トーマス(ワシントン大学)

 1930年代、黒人系南ア新聞『バントゥー・ワールド』紙上において、未婚で、若く、学校教育を受けた女性――しばしばアフリカの「モダンガール」と呼ばれた――をめぐる論争が起きた。論者のなかには、モダンガールをそのウィットに富んだ精神やファッショナブルな外見、自信に満ちた態度に賛辞をおくる者もいた。あるコラムニストが述べたように、「どんなチョコレートが欲しいか尋ねると、快活に笑いながら『チョコレート・ジンジャーをちょうだい』と答える」のがモダンガールである。だが、多くの論者は、アフリカのモダンガールはわがままいっぱいで、結婚したがらず、「白人姉妹」の模倣に腐心すると論じ、そのふるまいや消費態度を問題にした。

 本報告では、若い女性たちが使う化粧品――とくに、赤い口紅や白いフェイスパウダー、ホワイトニング・クリーム、縮毛矯正――をめぐって広告主やジャーナリスト、文筆家が、若い女性をいかに定義づけ、擁護し、批判したかに焦点を当てる。『バントゥー・ワールド』は、1932年に白人ビジネスマンが設立し、穏健派ナショナリストの黒人男性が編集に携わったが、黒人消費者に娯楽を与え、そして啓蒙するという二重の目的をもっていた。『バントゥー・ワールド』紙上では、化粧品の利用問題は、学校教育を受けたアフリカの若い女性が、「人種の地位向上」に貢献しているのか、あるいは、性と人種の双方を「売って」しているのかを論じるうえでもっとも頻繁に言及される争点であった。本報告では、南アおよび多国籍企業(とくにアフリカ系アメリカ人による企業)の化粧品広告とその是非をめぐる論争と、人種、ジェンダー、外見をめぐるイデオロギーの変容に焦点を当てることで、なぜ化粧品、とくにホワイトニング・クリームが(実際の商品化のいかんにかかわらず)アフリカのモダンガールと同一視される商品のひとつとみなされたかを明らかにする。

 また最後に、1930年代の『バントゥー・ワールド』紙上の論争が、1960年代〜70年代に――つまり、白人マイノリティーが支配した、ポストコロニアルなアフリカの一時代に――再燃した漂白論争のいかなる予示となり、影響力を持っていたかを考察したい。当時は、まさにアフリカ・ナショナリズムが政治的言説を支配し、黒人意識のイデオロギーがアパルトヘイト国家に重要な変革を迫った時期に当たっている。