1920年〜1930年代における宣伝広告と上海モダンガール

タニ・バーロウ(ワシントン大学)

 1920年代までに、上海では、商工業の各種商品が流通し、都市ブルジョア文化が物質的にその姿を現していた。当時の広告や都市文化に広く見られ、両義的な形象であったモダンガールは、この都市ブルジョア文化の出現というできごとに一役買った。1920年代、中国の都市部高学歴消費者の間では、「通俗社会学(vernacular sociology)」とでも呼ぶべき自己表現の手段が創り出されていた。それは、新しく台頭する文化を媒介して表現される身体、精神、感情、エロス、そして社会生活における、これまでにない新しい経験を伝えるものであった。多国籍企業の宣伝コピーにくりかえし登場していたモダンガールのイコンは、当時、一般に流布していた通俗社会学理論の中でさまざまな論者が描いていた「自然な女性(natural woman)」を体現していた。それは、ヒトという種の雌、自然進化の産物であって、社会進化論的改革の対象であった。この「自然的女性性(natural womanhood)」(そして「自然的男性性」)をめぐる社会科学的イデオロギーは、戦間期エリート層の世論に浸透していった。本報告では、通俗社会学が上海の商品広告という空想世界の中でどのように形作られたかを述べていく。果てしなく再生産される視覚的イメージ、広告産業のテクニック、社会学的通説、生物学的女性に脚光を当てる映画界のスターシステム、これらすべてが折り重なって甚大な影響力を発揮した。このためモダンガール自身は、自らの社会的ニーズを規定する余地をほとんど与えられなかったのである。本報告の終盤では、モダンガールのイメージ構築にあたって、民族が果たした両義的な役割に注目する。中国の新興ブルジョア層にとっての中心的な政治ドラマがナショナリズム――とりわけ商品の国籍――にあったとするならば、そしてまた、モダンガールを定義づけるものが「舶来品」の使用にあったとするならば、モダンガールは、商品への欲望という問題にも深く関わってくる。彼女たちが欲しいと思っていたモノは、その後の展開が示したように、しばしば買ってはならないモノであった。