セッション1 近代国家・女性知識人・女性表現
記録:倉田容子(お茶の水女子大学大学院博士後期課程、日本学術振興会特別研究員〈21COE〉)
【発表者・タイトル】
金恩實(梨花女子大学女性学科教授、梨花女子大学アジア女性学センター所長)
「新女性の性差化された主体性から再現される『新』の意味に関する研究」
菅聡子(お茶の水女子大学)
「樋口一葉と明治日本−女性作家が見た〈近代〉」
金ミンジュ(お茶の水女子大学大学院博士後期課程)
「『青鞜』とその時代」
權金R伶(梨花女子大学博士後期課程)
「なぜ柳寛順はお化けになったのか」
【コメンテーター】
米田佐代子(「平塚らいてうの会」会長)
金秀珍(延世大学)
【司 会】 鄭智泳(梨花女子大学)
【備 考】使用言語は韓国語・日本語。出席者75名
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【概 要】
シンポジウム1 日目は、三つの問題の枠組が設定され、それぞれ研究発表と討論がなされた。各発表の内容はセッションごとの発表要旨に譲り、以下、コメンテーターによる発言を記す。
米田佐代子はまず、歴史上の人物としての女性は常に国家的・政治的要請に基づいて英雄化されたり周縁化されたりしてきたが、本セッションはそうした女性像を再検討し、我々が女性という主体をどう取り戻すのかを問い直す試みであったと位置づけた上で、次のように述べた。羅寰の本当の姿を、彼女のテクストからだけではなく、その生きた身体性の全構造において捉え直していくという金恩實の提起は、他の女性像を再検討する上でも重要である。菅聡子が樋口一葉は社会的弱者として切り捨てられた女性たちの語りを再現したと指摘したように、我々は書かれたものだけでなく、同時に書かれなかったこと・語られなかったことを見直していく必要がある。權金R伶報告からは、民族的英雄と目されている柳寛順が民衆レベルでは怪談にもなっており、そのような民衆の語りが柳寛順を「聖女」像から解放する契機となることを学んだ。同時に、国家的・政治的要請に基づいて作られた女性像が、民衆や反体制派の男性たちの語りにおいても再生産されることが改めて確認された。金ミンジュの田村俊子は「古い女」ではないという指摘は興味深いが、「新しい女」は強者であり、やがて国家に同調していったというイメージは、従来の男性上位型の社会における『青鞜』評価の一つではないか。
金秀珍は、本セッションにより帝国と植民地の揺れ動く差異と同一性が浮き彫りになったと述べ、各報告に対して次のようにコメントした。菅聡子報告を受けて、植民地朝鮮においては出版システムがなかったこと、また家制度は近代化されていなかったため父兄に頼らざるを得なかったことなどが、差異として浮かび上がった。金恩實は、女性の具体的生・肉体に刻まれた生による見直しを提起したが、それらの作業を具体的にはどのように進めていくのかうかがいたい。金ミンジュが指摘した「新しい女」/「古い女」という二項対立は植民地朝鮮にも存在したが、両者は完全な他者ではなく自分自身の憧憬や哀れみを包含しており、また良妻賢母への態度は曖昧であった。これらは植民地の特徴だろうか。權金R伶報告のように柳寛順の表象をめぐる歴史的プロセスを精緻に分析した研究は初めてであり、非常に意義がある。ただ、その恐ろしい身体性は、植民地時代を暗く恐ろしい過去として表象するという解放後の要請によって生み出された可能性はないだろうか。
二人のコメント終了後、報告者によるリプライがなされた。その後のフロアとの質疑応答では、乙女の身体の表象、韓日の新女性/旧女性の実態、一葉テクストと帝国主義のギャップ等をめぐって議論が交わされた。
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セッション2 <母国>のイメージをめぐって
記録:倉田容子(お茶の水女子大学大学院博士後期課程、日本学術振興会特別研究員〈21COE〉)
【発表者・タイトル】
權幸佳(弘益大学)
「明成皇后と国母の表象」
若桑みどり(千葉大学名誉教授)
「明治天皇の皇后美子(昭憲皇太后)の表象」
【コメンテーター】
小嶋菜温子(立教大学)
梁鉉娥(ソウル大学)
【司 会】晟銀(梨花女子大学)
【備 考】使用言語は韓国語・日本語。出席者75名
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【概 要】
小嶋菜温子は、權幸佳・若桑みどりの報告はいずれも近代におけるジェンダー・イメージの形成をめぐる物語であり、王政社会における文化の成立が重要な共通テーマであるとした上で、次のように述べた。たとえば紫式部は高い文学的評価を得ているが、一方で、寺に収められた彼女の肖像は地獄に落ちたという言説を伴っている。これは王政の求心力の強さが肖像を介して一つの個性をめぐる正反対の評価を生んだ例である。歴史における文化形成、とくに表象を介した支配/被支配のなかで個々の個性は翻弄され、変転する。個々の身体的・具体的現実は見えないままに、肖像や写真が残り、造られてゆく。なかでも王と王妃、権力者と妻、あるいは母の肖像は、大きな問題を孕んでいる。昭憲皇太后は一夫一婦制や洋装といった近代国家形成の規範となったが、同時にその性格付けには王朝時代の国母の聖化されたイメージが取り込まれている。こうした共通性を踏まえつつ、国家間の侵略/被侵略などの権力関係がどのように表象に作用したか、両国の差異を押さえていく必要がある。
粱鉉娥は、まず韓日両国において近代化の過程のなかでジェンダー秩序が導入されたことが本セッションにおいて明らかになったと述べ、また皇后とはテレビドラマや映画等において常に王朝の歴史のなかで他者化されるスキャンダラスな表象であることを確認した上で、次のように述べた。若桑みどりは近代化以前の日本天皇は両性性を帯びていたと指摘したが、そのとき皇后はどのように表象されていたのか。權幸佳への質問は次の三点である。一つは、なぜ開化期に父系血統が強調されたのかということ。もう一つは、着物姿の明成皇后について、日本の良妻賢母イデオロギーや国家・民族言説が交差していると指摘されたが、このような交差は植民地時代に特有のものであったのか。最後に、韓日国母の表象の差異は、国家主権の喪失と関係があるか。
フロアからは、オーソライズされた肖像とマスメディアにおけるスキャンダラスな表象との連関性、アジア的身体へのまなざし、「femme fatale」という用語の問題等について、質問・意見が出された。
その後、報告者によるリプライがなされた。
セッション3 女性の移動・旅行――Trans-Local, Trans-National
記録:倉田容子(お茶の水女子大学大学院博士後期課程、日本学術振興会特別研究員〈21COE〉)
【発表者・タイトル】
林香里(東京大学)
「日本における「韓流ブーム」の限界―マスメディア・システムにおける女性オーディエンスの問題」
楊智景 (お茶の水女子大学大学院博士後期課程)
「女性作家の帝国のフロンティア・台湾への行進」
平田由紀江(延世大学大学院博士後期課程)
「日本における韓国大衆文化」
金貞仙(梨花女子大学大学院博士後期課程)
「トランスナショナル共同体をつくる」
【コメンテーター】
金成禮(西江大学)
閔佳榮(梨花女子大学大学院博士後期課程)
【司 会】尹尢リ(梨花女子大学)
【備 考】使用言語は韓国語・日本語。出席者75名
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【概 要】
金成禮はまず、「韓流ブーム」をめぐる林香里・平田由紀江の報告と、1930 年代に台湾を訪れた女性作家についての楊智景報告に触れ、70年のタイムラグを越えて両者のジェンダー性が持つ効果は同じである点が興味深いと指摘した上で、次のように述べた。「韓流ブーム」をめぐる外部の言説は詳述されたが、その主体である女性オーディエンスの声はよく聞こえず、他者化されているように思われる。また、「韓流ブーム」について韓国ではトランスローカルな波及的な効果が期待されているが、日本ではオタク的なものとして否定的に扱われる場合が多く、両者の間には断絶がある。質問は次の二点である。たとえば『冬のソナタ』のストーリーに対して、女性オーディエンスの主体はどのようにインターミックスドあるいはトランスフォームドされたのか。また、林芙美子のテクストに植民地主義への批判を読み取るのは行き過ぎた解釈に思えるが、いかがだろうか。
閔佳榮は、各発表者に対して次のように述べた。林香里が報告した「韓流ブーム」の効果は、文化的に国境を越えるだけでなく、既存の日本人としての国民国家の枠を超えつつあるように見える。また、平田由紀江は『冬のソナタ』に対してフェミニズム的読解を試みたが、日本のマスメディアにおいて、ぺ・ヨンジュンのように性別役割分担を超えてヒロインとともに感情労働する男性像は再生産されているのだろうか。楊智景報告で扱われていた公式的な支援を受ける女性たちはどのようなカテゴリーの女性なのか、植民地と女性、国家と女性の関係性について、もう少し説明を聞きたい。金貞仙が報告したフィリピン人女性たちのre-homing は、伝統的な私的領域ではなく、主に公的な場で行なわれている点が興味深い。re-homingは公私の二分法に亀裂を入れる概念として用いられる可能性があるだろうか。
二人のコメント終了後、報告者によるリプライがなされた。その後のフロアとの質疑応答では、韓日の中高年女性を取り巻く経済的条件や文化的規範の差異、植民地時代の日本の知識人女性たちの植民地支配に対する認識の脆弱さ等をめぐって、活発な議論が交わされた。
セッション4 韓国・日本・アメリカの歴史的/文化的関係に対する女性主義的介入
記録:武内佳代(お茶の水女子大学大学院博士後期課程・COE研究員)
【発表者・タイトル】
高橋裕子(津田塾大学)
「津田梅子と東アジアのジェンダー表象―津田梅子が執筆した津田仙の訪朝記を中心に」
權銀善(韓国芸術綜合大学講師)
「〈青燕〉:新女性の表象における民族主義とフェミニズムの葛藤」
竹村和子(お茶の水女子大学)・内堀奈保子(お茶の水女子大学博士後期課程)
「「新しき」共同体とジェンダー/セクシュアリティ―トランスパシフィック・テクスチュアリティ」
愼芝英(梨花女子大学講師)「韓国現代絵画の日本色とジェンダー:千鏡子の場合」
【コメンテーター】
越智博美(一橋大学)/金英玉(梨花女子大学)/
鄭喜鎭(梨花女子大学博士課程)
【司 会】菅聡子(お茶の水女子大学)
【備 考】使用言語は韓国語・日本語。出席者75名
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【概 要】
シンポジウム2日目はおもに、近代以降の韓国、日本における様々なジェンダー表象の様相、また、そこに介入する米国(および〈西洋〉)の位置などについて、共同研究を含めた計5名による4つの研究発表、および、3名のコメンテーターの発言とそれへの発表者の応答がなされた。発表は、おのおの、国家、文化、資本、表象の連動の歴史的な様相をつまびらかにすることで、性配置の非対称性が、時代、国家、地域、文化領域によって、いかなる特殊性をもって再生産されてきたかを改めて検討するものであった。
まず高橋裕子は、19世紀後半、米国の新聞記事向けに津田梅子が書いた父・仙の訪朝記などをめぐり、当時、国費留学生というエリートである一方、ジェンダー・バイアスによって周縁化されてもいた梅子という特殊な〈女性〉の位置が、内面化された朝鮮に対する植民地主義をいかに米国メディアに発信させていったかを明らかにした。
続いて、權銀善は、20世紀半ばの朝鮮最初の民間女性飛行士・朴敬元を主人公モデルとした2005年の映画「青燕」をめぐる親日派映画論争および映画分析を通して、解放以降の韓国に浸潤する民族主義やジェンダー・バイアスのもとで脱歴史的な身体として再生産されてゆく朴敬元の表象の問題性について発表した。
次に、竹村和子・内堀奈保子は、19世紀中葉に米国で創設された「ブルック・ファーム」、および、それをモデルとして武者小路実篤が20世紀初頭に創設した「新しき村」という、理想主義的共同体における性規範について、文学テクストを手がかりとして歴史的文脈の再考を行った。ともに資本主義の進展の時代にあって、性規範からの逸脱性を有した前者のようなラディカルな共同体は崩壊し、かたや、性規範に追従した後者のような共同体は、存続しながらも、その革新性は骨抜きにされたことを、文学表象から再帰的に、歴史の記憶として掬い取った。
愼芝英は、近代韓国を代表する千鏡子などの女性画家たちが被ってきた、植民地時代の記憶とジェンダーの非対称性とが交差した、いわれなき受難を明らかにした。解放後のこの半世紀に米国の絵画技法などを取り入れ模索されてきた〈現代的〉かつ〈伝統的〉な、いわゆる「韓国絵画」の様式は、植民地時代に主流を占めた「日本絵画」様式からの差異化によって生成されている概念である。こうした画壇にあって、優れた「日本画」様式の絵画を多く残した千鏡子などの近代女性画家たちが、日帝の残滓として「新女性」と定位され、批判されてきたことを報告した。
上記の発表を受け、越智博美は、高橋が述べた梅子の〈他者〉表象の自己実現過程における変化、權銀善が取りあげた「青燕」がもつ別の表象の可能性、竹村・内堀が扱った二つの文学テクストの位相の違い、愼芝英が紹介した画法の二項対立におけるジェンダー介入などについて質問した。金英玉からは、すべての発表に対して、自己を他者から境界づける行為としての女性たちの様々な表現行為と、帝国主義との関係についてなどが質問された。そして鄭喜鎭からは、竹村・内堀の議論におけるフィールド・ワーク研究の位置づけ、愼芝英が取りあげた千鏡子における西欧的からの影響などが質問された。これらの質問に対して、発表者は、各自の問題意識と課題をふまえた応答を行った。その後、多彩な研究分野からなるフロアーとの活発な討論がなされ、ジェンダー研究における韓日両国間の対話をより深化させるかたちで、シンポジウムは終了した。
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