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2005/3/26 プロジェクトD視覚表象 第1回文献検討会ルドミラ・ジョーダノヴァ『セクシュアル・ヴィジョン』



【企画】プロジェクトD(理論構築と文化表象) 視覚表象 第1回文献検討会
【検討文献】Ludmilla Jordanova, Sexual Visions: Images of Gender in Science and Medicine between the Eighteenth and Twentieth Centuries, 1989.(邦訳:宇沢美子訳、『セクシュアル・ヴィジョン――近代医科学におけるジェンダー図像学』、白水社、2001年)
【発表者】正路佐知子/お茶の水女子大学大学院人間文化研究科
【司会】天野知香/お茶の水女子大学教員
【コメンテーター】鈴木杜幾子/明治学院大学教員
【日時】2005年3月26日(土)14:00〜16:30
【場所】お茶の水女子大学人間文化研究科棟6階大会議室
【人数】出席者14人(学内+学外)


「コメンテーター/鈴木杜幾子」
「発表者/正路佐知子」

「司会/天野知香」

【報告の概要】
 著者のルドミラ・ジョーダノヴァは、現在Centre for Research in the Arts, Social Sciences and Humanitiesのディレクター、Downing Collegeのカルチュラル・ヒストリーの特別研究員であり、2000年にはイギリス科学史学会初の女性学会長に就任した。専門は18、19世紀の視覚文化、科学史である。現在は医学者らの肖像を研究対象としている。代表的な著書としては、Natural Displayed: Gender, Science and Medicine 1760-1820 (Longman, 1999) 、History in Practice (Arnold, 2000) 、Defining Features: Medical and Scientific Portraits 1660-2000 (Reaktion Books/ National Portrait Gallery, London, 2000)などが挙げられる。
 発表者の正路佐知子は、2004年度提出の修士論文において女性身体と機械の視覚表象における問題を、主にマックス・エルンストの作例についてジェンダーの観点から分析を行った。今回の検討会では発表者のテーマに関連し視覚表象に関わる問題を扱っている、第3章の「身体像と性役割」と第5章の「科学の前にヴェールを剥ぐ自然」を中心に検討を行った。2つのセクションを中心として議論を要約し、更にジョーダノヴァの論への美術史の視点からの疑問点、あるいは補足を付け加え考察を進めた。
以下は発表者の整理したジョーダノヴァの論である。
 初めに発表者は、医科学をジェンダーの観点から見直す理由を整理して説明した。客観的かつ中立であるとみなされてきた自然科学、医学で用いられた表象に、書き込まれ構築された性役割、ジェンダー観が、見る者と社会に働きかけるという指摘がこの著作の重要な意義であることが確認され、次に論点の関係から第3章に先行して第5章を取り上げた。
 第5章の「科学の前にヴェールを剥ぐ自然」では、医学的、科学的「知」を考えるための媒体として「女の身体にヴェールをかける/剥ぐ」という概念の問題に焦点を当てている。ジョーダノヴァは、ルイ・エルネスト・バリアスの彫刻《科学の前にヴェールを剥ぐ自然》(1899)を例にヴェールの持つ意味、ヴェールをかける/剥ぐことの意味を分析している。更に女の死体を扱う解剖絵画の例も挙げ、「女のヴェールを剥ぐ」ことは、女性の神秘と、女性に擬えられる「自然」の奥に隠された神秘を解明し、それによって知識を得、同時に女性の身体を所有するという、「所有幻想、暴露幻想という男の欲望を満たすもの」と結論づけている。また、行為者が有色人種になった途端、解剖の暴力性、残忍さが強調されることになることも重要な問題として触れられている。
 ここで発表者は、ロマン主義時代から世紀末に至るまでの病に伏せる女性、死んだ女性のイメージを取り上げた。死により無害となった身体は男性にとって自由に取り扱えるものであり、1つの理想像であったことを、ジョン・エヴァレット・ミレーの《オフィーリア》を例に指摘を行った。
 次に第3章「身体像と性役割」では、女性の肉体をかたどった解剖学用の蝋人形を取り上げ、身体像と性役割の関係を模索し、蝋人形にあらわれているジェンダーの考え方や表象の問題について掘り下げられている。特にクレメンテ・スジーニ作《医師たちのヴィーナス(メディチのヴィーナス)》(1781-82年)を例に取り上げている。女性の内奥を覗き見るという構造を持ち、「性」と「生殖」にまつわる器官が階層的に表れているこの蝋人形には、数多くのジェンダーを明記する記号が付与されることで「女らしさ」のステレオタイプが強烈に印象づけられる結果となっていることをジョーダノヴァは分析している。
 発表者の疑問点、補足点としては、ジョーダノヴァは、女性用蝋人形1体のみしか分析を行っていないこと、男性の蝋人形の特徴には触れられているが、図版も掲載されていないことなどであった。発表者は、皮膚は剥がされているが同じような寝台に横たわる男性の蝋人形の作例を取り上げ、女性蝋人形には過剰なジェンダーの記号が付けられており、女らしさが強調されているのに対して、男性の蝋人形には装飾はなく、むしろ実用的側面が強調されている=その筋肉、血管を見せるのに相応しいポーズが選ばれていることを示した。結論としては、解剖され、階層的に内蔵を見せる全身像はやはり女性であり、対照的に男性の全身像は筋肉を見せる類のものであったことははっきりしていることを、ジョーダノヴァの論に付け加えた。
 更に発表者は内臓の溢れ出た状態を描き出した女性蝋人形に孕まれる「アブジェクト(おぞましきもの)」の問題を取り上げ、知識を得るための行為である解剖が、危険であり未知である人体の内部を切り開くことで境界を侵犯してしまうという両義的側面を持つことを指摘した。
 最後に発表者の研究に関連して、マックス・エルンスト(Max Ernst, 1891-1976)《解剖体die anatomie》(1921年)を取り上げ、ジョーダノヴァの理論を援用しつつ分析を行った。この作品は第1次世界大戦後、戦争により精神的にも肉体的にもマスキュリニティが危機にさらされた時代に制作されている。他者に支配される恐怖感を生み出す点で共通の対象である機械と女性を結びつけ、その身体を無害化(解剖)することで、不安定になりつつあった「男性性」「女性性」といった性役割、ジェンダーの構造を再確認、再構築するための必要な作業であった、という解釈が行われ締めくくられた。

コメンテーター:鈴木杜幾子さん(明治学院大学教員)
  以上の発表に対して、鈴木杜幾子さんからのコメントが寄せられた。
コメンテーターは、『セクシュアル・ヴィジョン』が幅広いジェンダー的視点を持ち、医科学における具体的な視覚表象を取り上げながら、そこに孕まれるジェンダーバイアスを分析している点を評価した。そして発表者が補足した点について、女性蝋人形が複数存在すること、また男性蝋人形も存在することを示した点は的確であることを述べた。皮膚下を描いた男性蝋人形は女性の蝋人形とは違って、解剖学に必要な要素のみを提示しており、ジョーダノヴァの論旨を補強することとなったからである。女性蝋人形は非常にグロテスクで恐怖を感じさせるものだが、これらを創るのは男性、そして恐怖を感じるのも男性であり、女性の他者性の強化に結びついていることが、コメンテーターによって付け加えられた。また、発表者の専門であるエルンストの《解剖体》についての解釈であるが、男性性への不安を解消、奪還するためにこの作品が制作されたことは興味深く、現代においてもジョーダノヴァの論は残存していることが示されたことなど、コメントが行われた。発表者への質問としては以下の点が提示された。
・ 古くからある人間機械論やダナ・ハラウェイのサイボーグ・フェミニズム論への見解。
・ 現在の臨床医学においては、普遍的患者とは男性ではないのか。
・ ジョーダノヴァが取り上げたイギリス、アメリカの例以外に、例えばフランスにおける解剖学者と若い女性の図像はあるか。
これらの質問に関しては、会場の参加者も交えた議論の中で応答が行われた。

質疑応答
会場からは、医科学における女性身体の表象の問題にとどまらず、様々な疑問が提起され応答が行われた。具体的には、有色人種の女性の表象がはらむ問題、当事の解剖学者の地位と表象の関連、大戦間に描かれた女性身体が意味するもの、現代の作家シンディ・シャーマンの作品との関係などが討議された。ジョーダノヴァの論を起点として活発な討議が行われると共に、今後検討すべき問題が切り開かれ、実りある検討会となった。         (報告者 林 有維)



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