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2007/6/23 第10回 英語圏文献討論会



【日時】2007年6月23日(土) 14:00〜17:15
【場所】お茶の水女子大学 人間文化研究科棟 6階大会議室
【タイトル】Nancy F. Cott, Public Vows: A History of Marriage and the Nationを読む
【司会/報告】高橋裕子(津田塾大学、COE客員研究員)
【報告者】宮井勢都子(東洋学園大学)
      小檜山ルイ(東京女子大学)
      田村恵理(お茶の水女子大学博士後期課程)
      板橋晶子(お茶の水女子大学博士後期課程)
【記録】内堀奈保子(お茶の水女子大学博士後期課程)
【企画】プロジェクトD 英語圏
【備考】使用言語は日本語。出席者44名(学内+学外)
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【内容】(敬称略)

 導入・第1章 解題(高橋裕子)
  本書は、結婚というきわめて私的な関係がいかに公的なことに関与しつつ、米国の政治文化に影響を与え、人種・ジェンダーの構築とその秩序の形成にいわば最大の影響力を及ぼしてきているような制度であるかを通史的に捉え直す。州レベルの政府、議会あるいは裁判所が基本的には結婚・離婚に関与する法律、実施に関わる機関ではあるが、連邦レベルが結婚に関係する多くの法律を保持しつつ、理想とすべき結婚の一つのモデルを打ち出してきた。すなわち、同人種間、異性間、貞節で排他的な一夫一婦制に基づく関係性を公的な利益と秩序の名において、道徳的な基準として設定してきた。第一章では、キリスト教のモデルに基づく一夫一婦制と独立革命期の自由意思、同意を尊重する政治文化との関連について検証し、一夫一婦制の源流であるイギリス慣習法の影響を検討しつつその系譜を辿る。

 第2・3章 解題(宮井勢都子)
  ここでは、一夫一婦制を文明化の指標とする国家の結婚観や、結婚をめぐる州レベルでの法的規定に加え、いかに建国初期に地域社会が「非公式なパブリック」として実質的かつ柔軟な姿勢で婚姻の承認と監視に関わったか、またいかに結婚制度がジェンダー、人種、市民の境界線を構築したかが論じられる。黒人奴隷は結婚制度から排除され、結婚形態に対する地域社会の寛容は異人種間の結婚には示されなかった。19世紀中葉になると主に離婚と既婚女性の財産権の法制化をルートとして州政府の介入が強まり、一夫一婦制の安定が図られる。南北の対立が深まる時代に、結婚と奴隷制のアナロジーは奴隷制擁護論者、奴隷制廃止論者、女性の権利運動家それぞれの政治的言説に取り込まれ、またモルモン教徒の一夫多妻制は「専政」「野蛮」の象徴として連邦の政治的論争の一焦点となった。

 第4・5章 解題(小檜山ルイ)
  南北戦争後、解放黒人に法的結婚の自由が与えられると、法的結婚をし、妻子のために労働することが、男らしさを確立することであり、公民権を保証するものだということが強調され、一夫一婦制の婚姻がより広く規範化された。同時に、多くの州で異人種間結婚が法的に禁止され、正当な結婚は、同人種間のものでなければならないということも規範化された。また、モルモン教徒の一夫多妻婚が、非文明的制度として糾弾のターゲットとなり、最終的にモルモンはこの教義を捨てた。先住民やオナイダの共同体における規範的結婚からの逸脱に対しても圧力が加えられた。1873年に制定されたコムストック法もまた、規範的結婚を側面から支援するものであった。かくして、南北戦争以前に見られた多様な結婚形態に対する柔軟性は、この時期に失われた。

 第6・7章 解題(田村恵理)
  アメリカへの帰化を求める移民の1890年〜1920年にかける爆発的な増加を受け、英国やヨーロッパの流れをくむ人々の数を多数派にしようとするワスプ中心主義的な考えを根底に持つアメリカ政府は、それ以外の人種の集団への移民規制の表向きの理由として、結婚観の違いを利用した。アメリカの誇る「当人同士の同意を基盤とした結婚観」とは相容れない「他の」集団の結婚観を否定したのである。また、20世紀初頭は女性の解放という意味で新しい波が訪れ、結婚がそれまで持っていたヒエラルキー的要素は薄まった印象になってきていた。しかし、大恐慌とそれにともなうニューディール政策において、希薄になっていた一夫一婦婚と市民権との2つの関係が再び強まる結果となる。

 第8・9章 解題(板橋晶子)
  8章と9章は、第二次大戦期40年代から2000年までの歴史を扱っている。8章では、主に第二次大戦期から戦後50年代にかけて、「私的な」結婚制度に公的意味合いが強く加えられていったことが論じられている。またこの時期には、結婚をめぐる伝統的価値観が具体的な立法政策のなかで再び強化されたが、同時に結婚制度とそれをめぐる価値観の多様化が起こってきた。それが60年代以降公民権運動や女性解放運動の影響を受けてより進展していくことが、続く9章で論じられる。しかし、そのような変化の中で伝統的価値観が立法政策によって繰り返し強化されてきたことも、明らかにされている。コットは全体を通して、結婚が公私の両側面から成り立つ制度であることを強調し、結婚の歴史を国家の歴史として描きながら、結婚が法制度によって歴史的に作り上げられてきた「制度」であることを明白にしている。

【質疑応答】 (内堀奈保子)
  質疑応答は主に以下の二点を中心に展開した。一点目は、婚姻外で生まれた子どもが社会の中でどのように処遇されていたかについて。本書が婚姻について書かれ、特にパートナー間の関係にコットの関心が向けられていることが了解された後、コットの婚外子をめぐる視点がどのように提起されているかという点に議論が及んだ。会場からは、アメリカ社会が婚外子として産まれた子どもを排除するのではなく、むしろ内包することによる緊張関係を常に孕みつつも、社会に取り込もうとしてきたことが指摘された。発表者から、奴隷が産んだ子供は、生物学的な父親がたとえ白人だとしても、奴隷の身分つまり「他者性」を引き継いだが、同時に、白人男性の財産として社会に留めおいていたことが報告された。また、白人間の婚外子の場合も、『緋文字』のパールをめぐって植民地総督が介入してきたように、単に疎外するのではなく、逆にコミュニティーの承認を与えることで社会に包摂していたことが確認された。
  この私的な存在(婚外子)を公的なものとして取り込むという一点目の議論は、二点目の、コットの新しい見地はどこにあるかという、著書全体の評価に関する議論へと繋がった。各発表者の意見を統括すれば、コットが婚姻をプライベートなものではなく、政治的レトリックに包含され、巧妙に操作されたパブリックなものとして捉えたこと、さらに、婚姻を制度面からの通史(植民地時代から現代まで)として洗い出したことは、現在でもなお評価できると論じられた。家族史の研究においては、ケーススタディからのアプローチが一般的である。個々の具体例という次元ではコットの著書で特に斬新な資料が提示されているとは言いがたく、また、階級の視点にもっと踏み込む必要性などの論点も示唆され、最後の文献討論会に相応しい活発な意見交換がおこなわれた。



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